僕らは山という畑の農家なんです。

2022.6.16

MkD

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東京に暮らしているときには、まったく身近になかった林業。今回、三重県に引越してきたことから縁があり、林業がかつて栄えた美杉村を訪れることとなった。そこで、これからの林業の未来を熱く語る、フォレストリーダー木村寿誌氏に話を聞くことができた。

-Interview & Writing : MkD / Shooting : Yoshitsugu Imura, MkD
-敬称以下略|木村寿誌→木村 / インタビュアー(MkD)→▶


山がよくなれば、川も海もよくなる

木村:そもそも僕が何で林業に従事しているかいうと、山に携わるきっかけが釣りだったんです。

僕は小さい頃から釣りが好きで、実家の近くでよく釣りしてたんです。あるときに川の水がすごい減ることがあって、魚もだいぶ減ってしまって、これなんだろうなと思ったときに、ある本を読んだんですよね。

▶どんな本ですか

木村:その本が講談社の『川は生きている』というシリーズです。森がよくなれば川がよくなって、そして海もよくなる、という内容です。ようするに、森の養分が川を通じて、海の生物も増えてくる。じゃあよい釣り場をつくるためには山をよくしていけばよいんだと気づいたわけです*1

 

僕はまだ小さかったんで文字は読めない、親父が読み聞かせてくれました。釣り自体は3歳とか4歳からしていました。その後、美杉村で育っていくうちに、実際に水がどんどん減っていく現象を目にして、まずいと感じたんです。

家から山を考える

▶山と川や海のつながりは盲点でした

木村:普通に暮らしていたら、そんなこと考えないですよね。山の人は山しか見ない。海の人も似たようなところがあるのではないでしょうか。それから津の高校を出て、三重大学の生物資源学部に入学しました。そのかたわら、大学では山岳部でいろんな山を登って各地の山を見て回りました。

それで社会人になるにあたって1回、実際にその木が使われてる現場を見たくなったんです。木材を大量に使って大量に消費してる現場では、どういうことを考えているんだろうか、と。

▶一貫していますね

木村:建材メーカーに勤めてわかったのは、主に会社として外材を扱っていることですね。外国産といっても漠然としていますが、具体的には南の赤道に近いところの木材です。あの辺りは四季がないんですよ。

赤道のあたりは雨季と乾季はあるんですけど、四季はない。日本だったら雪が降ったら作業できません。でも外国産材にそんな不便さはないんです。もう年がら年中、一定の品質のものを生産できるけれど、日本ではそれができない。

 

▶四季はよいものと思っていました

木村:だけど、四季に左右される国産材だと企業として安定しないですよね。会社の仕入れという観点では国産材は使いにくいという状況でした。つまり、当時の話にはなりますが、大手の建材企業は国産材に集中して商品を揃えることを断念したんですよね。

僕は家づくりにおける大量消費、大量生産の一番の問題は、一年中使える外国産材に頼り、そして異なる規格*2で効率を求めていくところにあると感じました。

いまお話したのは、僕が26歳ぐらいのときの状況です。これでは長く勤めても夢がないなと思って、30歳で退職し、美杉村に戻ることにしました。これからは国産材に目を向けることが将来の生業として、狙い所になると思ったんです。

美杉村へ

▶東京から美杉村に帰っていかがでしたか

木村:僕が戻ってきたのが30歳のとき美杉村は、人がとても減っていました。美杉村全体で僕が小学校の時には約9,000人ほどの人口でした。今では約4,000人を切ってます…。僕が小さかった頃に山に関わっていた人たちが、もうどんどんいなくなっている状況を見て、これは何かしら仕事をつくらないけないと危機感を覚えたんです。

山と向き合いなおす

▶山での働き方を教えて下さい

木村:僕はいまは自分の会社を立ち上げていますが、地元の製材所にも籍をおいています。

こちらに戻ってきて、最初は違う人のところで林業を学んでいたのですが、その後ちょっと手伝ってくれないか、と声をかけられていまは青木製材所*3という会社の仕事もしています。

△木を切る前に見せてもらった樹皮を「まわし鎌」でむく光景

▶製材所なんですね

木村:青木製材所はもともと製材業だけの専門の会社でしたが、自分のところで直に木材を調達したいから、ちょっと手伝ってくれないか、ということで関わることになり、美杉村で腰を据えて林業を続けることになりました。

ここには作業班と林業班があって、僕は林業班で日常過ごし、山の仕事は日暮れとともに終わります。朝の出勤も定時はない。その昔から続く、元祖フレックス制です。

▶一般的に製材所は、林業は行わないと聞きました

木村:そうですね。珍しいケースです。林業はあくまで山の仕事です。つまり伐倒された木は必ずしも住宅だけに使われるわけではない。なので、通常は切り出された木は市場に行きます。そこで売買がなされる。ちなみにこの辺で大きな木材市場は松阪市*4にあります。

山の仕事

△作業をする土場の様子、ここから山の中に入っていく

▶林業は経験ナシでもできますか

木村:経験はなくても大丈夫ですが、すぐに木を切るはむずかしいです。チェーンソーを使う必要があるからですね。だからまずは、どこかの認定林業事業体*5に入ってその指導員のもとや、林業大学校*6で研修を受ける必要があります。

△フォレストリーダーの証。鮮やかなオレンジ色のヘルメットが山の中で映える

僕はいまは指導員の資格*7をもっていますが、なんと三重県で一番若い指導員です。

▶山での作業はどんな感じでしょうか

木村:基本一日中、チェーンソーをかついで、山のなかを歩きまわる仕事です。山のなかは平らなところはないし、足場も悪い。獣道を歩かないと足をとられることもあります。そしてひたすら一日中、木を切る。むかし3Kという言葉がありましたが、歳をとってからはじめるには林業はタフな仕事かもしれない…。

△足場の悪い山の中をすいすいと動き回る

だけど僕にとっては楽しいから、ある意味、遊びの延長線上です。それだけ山の仕事にはやりがいと魅力があります。

▶木村さんは山を所有しているんですか?

木村:山はもっていないです。いまは山をもってる山主さんが自分で山の手入れができない。たとえば、ご高齢になったパターンと、もう一つは子や孫はもう地元から離れてしまったケース。すでにどこが自分の土地なのかもわからない状態が多くなっています。そういう土地をちょっと管理してくれないか、木を切ってくれないか、と声がかかって伐倒と間伐を請け負っています。

衰退する林業

▶林業の現状とは?

木村:そうですね。現在、美杉村は津市に合併され津市の一部になっています。津市は全体で約28万人の人口です。だけど、その中で林業従事者は約120人しかいない。事務職でない現場の人間はもっと少ない。すごい危機的な状況ですよ。なぜ林業従事者が減ってしまうか。

それはね、先ほども話しましたが、20年前から比べ国産材の値段が5分の1とかになっているからです。需要自体はあるけど単価が安くなってしまった。だからたくさんの木を効率よく切らなければ、以前のようには稼げないんです。

△倒す方向を見定めてチェーンソーを入れる木村氏

すべては山からはじまる

▶木村さんは家と山をセットで考えていますよね

木村:幼少期から大人になるまで山をよくするためには、まず家をうんと国産化したらよいんだと思ってたんですけど、僕はそれを諦めたんですよね。だから家づくりから山づくりへ、もっと家から離れて山自体をよくしていけば国産材の形も変わり、自然も負の循環から抜け出せると思っています。

△真っ直ぐに伸びた木を残し、曲がったり腐ったりしている木を間引く

美杉村に戻ってから、僕は方向転換をしたんです。山をよくしていくことが、きちんとお金になる形の生活をつくろうと考えを変えました。

もしこんな考え方で、新しい林業のあり方、林業を再生するような事業を展開できれば、日本の家のあり方も変わるのではないか、海や川といった自然も蘇るのではないか、と信じて僕はいま林業のど真ん中にいます。

山を多種多様な自然に

木村:山と向き合うということは、家づくりだけでなく、海のためだけでもなく、山のもつ防災機能という観点*8もあります。この美杉村周辺は、住宅向けに植林した山なので杉とかヒノキばかりなんです。

このあたりでは9割が針葉樹になっています、たとえるならば1品目だけの有機栽培の畑のような状態ですよ*9。そんな畑に1種類でも害虫が入ったら病気が蔓延して弱ってしまう。誰かしらが手を入れていかなければならない。だから、

僕らは山という畑の農家なんです。

山の農家として現状の山をもっといろんな多種多様な自然に戻していく、本来の山のあるべき姿にしていくことが林業の役割だというのが僕の考えです。

△上を見上げると確かに畑のように見えてくる

▶主役は木ですかそれとも山ですか?

木村:木イコール山です。木を切り出すだけでなく、山の全部を管理するっていうスケールで考えています。それははじめに少し話したような自然の循環のシステムを考えることが大切だと思うからです。

山に関心がない山主さん、山の手入れができない山主さんがたくさんいる。誰かが手入れをしなければ、どんどん放置されていきます。

どう自然に返していくのか

▶やはり人の手が必要なんですね

木村:はい。でもこんなふうに話すと、木が「ただ」で手に入るように聞こえますが、自然は「ただ」ではないんですよ。

木が育つにはやはり時間がかかるんです。たとえば、この木は多分60年ぐらいなのかな。60年経たから伐倒して売り物になる段階です。60年前に植えてくれた人がいるから、僕らはあと切るだけで済む。

この木々を植林した当時の人たちは、孫のために山をつくろうと結構リアルに思っていたはずなんです。でも時の流れとともに、家督を継ぐといった考え方、家業を継ぐような考え方もなくなっていまの状態になっているわけです。

▶個人的には空き家問題に近い気がします

木村:似ているところはあるかもしれませんね。

僕が考えているのは現在の山を自然に返していくのは当然そうなんですけど、大切なのはどういうふうに返していくのか、なんですよね。

たとえば果樹園にしたらその後の世代が果樹園の経営をして成り立っていくような形も1つあります。そうやって後世の収入源をつくることができるし、たとえば桜の山にしたらその後に桜まつりが開けるようなイベント会場みたいになるかもしれない、こういう考え方もできます。

未来のどこかの誰かのために

▶伐倒だけでなく、植林という観点も忘れてはいけないですね

木村:今年で僕は38歳なので、今から60年後の山つくろうと思ったら僕はその木を刈り取るときには死んでいるわけです。だから、自分がいなくなったときにこの地域をどうするか、自分が死んだ後その先ずっと後のことを考えながら仕事をするのが林業なんです。

いまの段階からこの先にどういう方向にしていくか、ちょっと先のことを考えながらやっていく。この考えが間違っていないでおいてほしいと思い願いながら仕事をしているんです*10。

自分のためにっていうわけじゃなくてね、もう未来のどこの誰かもわからないような、そういう人たちために役立つ仕事をしていきたいですよね。

▶▶釣りから川と海、家づくりから山づくりへなど新しい発見ばかりでした。貴重なお話ありがとうございました

 

△今回参加したクリエイティブワークショップ美杉の模様(2022年2月)

◆林業に関心のある方はまず「緑の雇用」ウェブサイトから情報収集をオススメします(by MkD)
https://www.ringyou.net/


■参考資料

『森は生きている』著:富山和子(1984年,講談社青い鳥文庫)
『川は生きている』著:富山和子(1984年,講談社青い鳥文庫)
『道は生きている』著:富山和子(1984年,講談社青い鳥文庫)
『海は生きている』著:富山和子(2009年,  講談社)

『森が消えれば海も死ぬ』著:松永勝彦(1993年,   講談社ブルーバックス新書)


■参考映画

「WOOD JOB!~神去なあなあ日常~」監督:矢口史靖(2014,原作:三浦しおん, 主演:染谷悠太ほか)
「うみやまあひだ」監督:宮澤正明(2015)
「半世界」監督:阪本順治(2019, 主演:稲垣吾郎ほか)


注釈

*1 「森林は天然のダムであり、河川の洪水、渇水を防ぎ、河川水量をできるだけ一定に保つ重要な役割をもっている。また、森林は海の植物プランクトンや海藻を増やす栄養素を海に運び、食物連鎖によって魚介類を増やす大きな機能もある。さらに、河川の恩恵を受けて生い茂った海藻(海中林)は産卵や稚魚の生育の場となっているのである」(p186, 松永)

*2 在来住宅は農林規格、産業規格のJAS規格とJIS規格の混合規格

「そもそも木と鉄と合わせて使ったときに、ぴったりとうまくいくはずがないと僕は思っています。だって木は歪んだりへこんだりする。鉄より弱い。そもそも規格が違うものが「がっちゃんこ」していること自体無理がある、家が永くもたない原因なのではないかと思います」(木村)

*3 青木製材所
https://aokiseizai.studio.site/

*4 ウッドピア市売協同組合
https://www.woodpiaichiuri.or.jp/

*5 認定林業事業体(三重県)
https://www.pref.mie.lg.jp/SHINRIN/HP/mori/12337015066.htm

*6 農林大学校(例:和歌山県)
https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/nourindaigaku/index.html

→三重県には大学校でなく「みえ森業・林業アカデミー」が津市白山町二本木にある

△JR松阪駅から電車で約1時間 https://miefa.pref.mie.lg.jp/

*7 緑の雇用指導員(フォレストリーダー)
https://www.ringyou.net/project/career.php

*8 「森林が伐採後、裸地のまま放置された場合を考えると、それまで長年にわたり培われた腐植土が雨によって流出してしまう。この腐植土は樹木の成長に欠かせない多くの栄養素を含んでおり、これがなくなってしまうことは[…]栄養素に乏しい無機層の土が出現することであり、樹木の生育に時間がかかることにもなるのである。腐食土層は、栄養素の補給をすると同時に保水する」(p37, 松永)

*9 「腐食土層の形成からいうと、広葉樹も同時にたくさん植林すべきであったと思うが、針葉樹は住宅用などの建材としての利用価値が高いため、針葉樹が植林されたと思われる」(p36, 松永)

*10 「たとえば奈良に行くと、280年の人工林があるんですよ。280年前に杉を植えた人たちがいて、それを280年間経営を引き継いで管理し続けてきた山があるんです。実際、そういうのを見てると、60年後こうなるんだってゴールが僕らには見えます。全部記録に残ってるんですよ。全部記録に残っているから、だから少なくとも300年ぐらい先のことは予想しようと思ったら予想できる世界ですね」(木村)


協力

みえ林業総合支援機構
https://miekikou.jp/


関連用語

#森は海の恋人運動


PROFILE

木村寿誌 Kimura Hisashi

1983年三重県美杉村生まれ。現在、木村林業株式会社代表。三重大学生物資源学部にて農業経営を専攻。卒業後、東京都の住宅部材メーカーに勤務。2014年に故郷である美杉村へ帰郷し、林業に携わる。*問い合わせ先:ukubotok@gmail.com

◆植林と伐採のサイクル(木村)

従来の植林の針葉樹の作業工程は大まかに

①植える(1反当たり300~500本)
②10年程で枝を打つ(6~8mの高さまで)
③15年程で間伐開始(2~3割)
④10年程で間伐を繰り返して優勢樹を残していく
⑤200~300年で全ての木を切り終わって、新たに植える

です。

今現在は③以降の段階に来ている山が多い中、山の管理に無関心な山主が、間伐ではなく皆伐をすることで一時金を得て、新たに植林せずに放置する例も多々見られます。また、九州や広島豪雨、伊豆の地滑りの例にもあるように、植林地の災害への弱さも指摘されるようになってきている。今後は植林された針葉樹での木材供給と、防災林としての広葉樹への転換も必要になってきています。いずれにせよ、山の根本的な問題は山主(山林所有者)が故郷を離れて都会で暮らしているため、

①山への関心が薄らいでいること
②そもそも名義変更してなくて死んだ人の名義のままになっていて、誰も手が出せなくなっていることが挙げられます。

国としては森林経営管理法を施行し、管理権と所有権を分けることで木の利用促進を図る動きも見られます。https://www.rinya.maff.go.jp/j/keikaku/keieikanri/attach/pdf/kentoukai-11.pdf
この法律も地方の市町に実行、判断が委ねられているため、林業に関心の薄い市町では骨抜きになってしまっています。せっかく森林環境税(住民税に含まれている)の税収があっても、効果的に森林整備に予算が使われない市町が出てきているのが現状です。

 

林業体験

https://misugi.sakura.ne.jp/inaka-tourism.com/misugi-taiken/林業体験/

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